ほはばブログ

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50代からの女性の暮らし方、働き方、学び方

心を満たす食

いつからか、1日2食の生活になってしまった。子供の頃は空腹で目が覚めるほどだったのに。しかし不健康になったのではなく、体が量を欲しなくなってきたのだと思う。話は逸れるが子供の頃、朝食はパンだった。カサカサしたトーストは当時の私はあまり好きではなかった。マーガリンやピーナツクリームを塗って食べる。父と母はコーヒーを飲んでいた。私はコーヒーが苦手だったので、クリープという粉乳に砂糖を加え熱湯で溶いたものを出された。朝食がトーストだと給食もパンの日は物足りない。しかしそういうものだと思っていた。今思えば、「ごはん食べたい」と言ってもよかったのではないか、とも思う。あの時の私に炊き立てのごはんをたべさせてやりたい。

ちなみに結婚してからは、ほぼ毎日米飯の朝食。理由は息子が納豆ごはんが好きだから。お味噌汁がなくても納豆がないとダメ。最近は買い忘れたら諦めてくれるが、幼児期は朝、慌ててコンビニに買いに行ったこともあった。それはそれで懐かしい思い出。20代になった今も、お腹いっぱい納豆ごはんを食べて一日が始まる。

今日、群馬県高崎市にある「まるおか」というスーパーに立ち寄った。食に関するセミナーに参加し、両隣の参加者(初対面)から「絶対に行ってみて!お弁当がおいしいから」と言われて茨城に戻る前に立ち寄ることに決めた。こだわりの高級スーパーとのことで「成城石井みたいな感じですか?」とたずねたところ、両隣の2人の女性は「・・・うーん、そういう感じじゃないかな」と言った。

運転中、雨はどんどん強くなっていった。カーナビを頼りにまるおかに向かうと、それは大きなイオンの陰にたたずむ小さな町のスーパーだった。しかし平日にもかかわらず駐車場には交通整理の誘導スタッフがいた。車を駐車し店内に入ってまず目に飛び込んできたのは筆文字で書かれた「食は命」という文字だった。あたりを見渡すとあちこちに標語のように張られていた。たくさんあったので全部は覚えていないが、レジ近くに「食べたものが血液になる」だけは覚えた。確かに、食べたもので私たちの体はできている。だからなんだ、いわれればそれまでだけど、清らかに生きるには少しだけ体に気を遣いなさいと言われているようにも感じた。まるで知らない人に急にお説教された気分。それは私の食生活が極端すぎるからそう感じたのかも知れない。庭でとれた野菜も食べるし、夜中にジャンクフードやアイスクリームを食べたりもする。目の前にあるものを漫然と食べている。心と体を満たそうなんて考えていない。小さなスーパーは私にお説教をしているのではなく「食べることは生きること。自分を大切にしなさい」と私に諭してくれたのだ。

成城石井のように洗練された店構えではないけれど、置いてある商品は少し似ていた。若干値段は張るが、体に気をつけている人や、本物の味を求める人なら嬉しくなるような、各地の美味しいものが並べられていた。野菜も、魚も、肉も、お菓子も。どの棚をみてもカゴに入れたくなるものばかり。予算の都合もあり、おススメされたお弁当、島根の木次乳業の牛乳、わかめスープ(ネーミングとパッケージに惹かれた)を購入した。次回はオリーブオイルを買いたい(若干予算オーバーだったので)。お目当てのお弁当は選ぶほど多くはなかった。お昼の時間を過ぎているのでもうほとんどが売れてしまったようだ。ガラガラのショーケースから3種類購入した。私が食べたのは南部鶏の塩麹焼き弁当。

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食べきれないので、弁当のパックから少し茶碗によそって温める。ごはんも美味しいし、鶏肉もしっとり。刺激のあるしょっぱさではなく、まろやかな塩味。普段は帰宅後バタバタと夕食をつくっている。まるで時間と対決するようかのように。味は二の次。作り終えるとぐったりする。しかしどこかのだれかが作ってくれたお弁当は私に心のゆとりをくれた。久しぶりの滋味あふれる夕食だった。

食べ終えて改めて弁当にかけられた帯の裏側を見て驚いた。保存料の記載がない。入っていないのか、微量なのか。それにしても原材料名が少ない。シンプルなものはたいていおいしい。

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体の隅から隅までかけめぐる血液。私が口にした食べ物は血となって私を動かしていく。物理的にだけでなく、心も動かしている。食べることはとてもとても大事なことなのだ。冷蔵庫にしまったのこりの弁当は明日の朝温めてたべよう。それを楽しみにぐっすり眠ろう。

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