和室の窓を開けて地面を見たら・・・。
なんだ、これは。キモチワルイ。
じーっと見たら・・・
近くで見たらアリが仕事をしていました。
巣を作っていました。砂利が敷いてあるというのに!
気持ち悪いなんて思ってごめんなさい。
こういうひとつひとつの行動が結果を生むのですよね。
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台風接近で茨城も雨。
作業のお客様の収納提案書を作り、その間でためこんでしまったテレビ番組の録画したものを見ています。
その中で「おカネの切れ目が恋のはじまり」というドラマの最終回が印象に残ったので今日はその話をしたいと思います。
あらすじなどは公式ホームページに書いてありますのでそちらを参照してください。
今なら最終回のみTVerで見ることができます。
【個人的な感想】
1.脚本家の職人技に感動
このドラマは8話完結だったそうです。しかし準主役の三浦春馬さんが急逝されその半分の4話完結になりました。
時間を半分に、しかも辻褄をあわせるだけでなくちゃんと1話~3話のエピソードを回収した最終回に「さすがプロだなー」と思いました。
タイトルの「恋のはじまり」がないのは仕方のないことです。しかしそれ以上の感情をひとつひとつのセリフに込めてくれた気がします。
最終回。三浦さんの新しいシーンは寝ている1カットだけでした。それ以後は明らかに三浦さんの亡くなった後で撮影されたものでそれを見ている私(達)は知っています。
主人公、玲子が伊豆へ父親に会いに行く時についていくはずだったのは営業部のガッキーではなく三浦さん演じる慶太だったと思われます。慶太の代わりにロボットおもちゃの猿彦がいろんな動きや表情をするのです。
今どきのおもちゃならしゃべらせることも可能だったのに、あえて音だけしか出さないおもちゃという設定にしておいたのはよかったと思いました。猿彦の表情や感情の音がまるで慶太の優しさを代弁しているようにも感じられてそれが余計に寂しく感じました。
2.お金と生き方についてちょっとだけ考えた
ドラマの冒頭で方丈記の一節が朗読されます(背景の鎌倉の映像も美しい!)。
私、方丈記を読んでいませんでした。今はやることがたくさんあるので落ち着いたら読みたいです。
このドラマのベースに流れている「お金とは私たちになにをもたらすのか」というテーマから「ないことが『ある』ということ」さらには「人は何もかもを失っても生きていく」ということについて考えさせられます。
おもちゃメーカーの経理部で働く玲子は180円のかけそばの美味しさをしみじみ味わえる女性です。決してケチなのではなく、清貧という生き方なのです。部屋には最低限のものしか置かず、食器が壊れても金つぎをして使い続けたり自分の洋服も手作りするようなつつましやかな暮らしをしています。お金をつかわなくてもとても幸せそうに見えます。ちょっと憧れます。
その一方で15年間も片思いの人気会計士の早乙女に必要かどうかも分からないようなプレゼントをしまくり自己満足に浸るという一面も持っています。貢いだらその分のリターンを期待してしまうであろうに片思いで大満足という始末。同僚の慶太(=おもちゃメーカーの御曹司。金遣いが荒いため社長である父親から経理部に異動させられた)の後押しもあり、デートをする運びに。しかし早乙女には妻子が。その家族とも別居して自分のルックスを売りに稼ぎまくっているという男だったのです。
結局早乙女は仕事も干され、妻と復縁しようとするも断られかっこ悪い状態になってしまいます。
一体早乙女はなんのために稼ぎまくっていたのでしょうか。お金があっても全然幸せではないのです。
3.「お金がある」は自分の心が決めるもの
そもそもお金が「ある」状態というのは金額でいうとどれくらいなのでしょう。
これは人それぞれだと思います。
しかし明らかに生命を脅かすくらいお金がないと人はすさみます。たとえば殺人事件の背景にもお金がらみのものがあります。
営業部のガッキーは奨学金返済だけでなく家族を養うために会社で働き家に帰ってパソコンで副業をしています。それでもお金が足りなくて飲み会に誘われても「この時間残業したら・・・」など考えイライラ。しかし、玲子と知り合い少しのお金を幸せに使っている様子に心打たれるのです。
慶太は欲しいものはなんでも買ってしまう。いつもご機嫌です。そんな慶太を見て玲子は慶太にお小遣い帳をつけるよう言い渡します。最終的にこのお小遣い帳の効果はなかったけれど(いや8話まであったらこの部分も回収できたのかもしれないけど)、お金を使うことだけでない幸せを知ります。
1話で玲子が欲しいと思っていた猿の絵皿を目の前で慶太が買って行ってしまい、まるで使い捨て食器のように捨ててしまったのです。後に玲子が欲しがっていたことを知り、慶太はゴミ捨て場に探しに行くのですが既にそこにはなく、お店で同じものを見つけることもできません。そこで自分で絵を描きプレゼントしようと思いつくのです。
お金を出しても買えない気持ちのこもったプレゼント。本来ならば手渡しするはずだったのかもしれません(最終話で慶太の部屋で玲子が見つけます)。
老子の言葉に「足りるを知る者は富む」という言葉があります。「富む」は心の豊かさです。今の状態に感謝して、満足して自分の使える範囲のお金でいかに幸せな気持ちで暮らせるかということをこれから考えていきたいと思いました。
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7月に三浦さんが亡くなったというニュースを聞いた時は本当にびっくりしました。
NHKの「せかいは欲しいモノであふれてる」など見ていたせいか「テレビにいつもでている芸能人」であり、「茨城出身のかっこいい芸能人」として陰ながら応援していたからです。これはネットニュースの情報なので本当かどうかは分かりませんが、一時期、芸能界をやめて茨城で農業をしたいと言っていたそうです。
きっと忙しくてそれも叶わぬ夢だったのかな、と。
でも、でも!!
もし茨城に戻ってきてくれたならまた違う未来があったのかな、ととても悔やまれます。土浦出身だからあの笑顔でレンコン掘ってるところとか見たかったな。
人が生きる意味って何なんでしょうね。
こんな私でも「つらいな、今、ちょっと苦しいな」と思うことがあります。
そんな時は「自分のためでなく、家族のために生きよう」と思うようにします。
もし息子に私がいなくなったら、一人でごはん作って仕事行けないし大雨の時に駅に迎えに行けないよね?
もし娘に私がいなくなったら、おちついて大学の勉強できなくなっちゃうしストレス発散のおしゃべりの相手がいなくなっちゃうよね?
もし夫に私がいなくなったら、愛は結婚当初よりは少し減っていると思うけど情はあるだろうから私のいない家の中でいるべき者がいないことに寂しいと思ってくれるよね?
せめて三浦さんに「誰かのために」という相手がいたらよかったのに、と本当に悔やまれてなりません。