家にいる日曜日はほぼ「安住紳一郎の日曜天国」を聴いています。
今日も家事をしながら聴いていたのですが、途中、安住さんの話が止まり、やがて嗚咽にも似た涙声になりびっくりしてしまいました。
内容は以下のものです。
先週の放送で「14年前、秋田のボウリング場でスタッフとボウリングをしていたら、隣のレーンの女の子のパンツが見えた」という話をした過去の音源が放送され、それを聞いた当時15歳だったリスナーがそのパンツの子のレーンのさらに隣で家族でボウリングをしていて安住さんを見つけ、写真を撮ってもらったというメッセージでした。
日常の中での些細な出会いが、見知らぬ誰かの人生の記録の1ページになっていたこと。中学生だったリスナーが大使館職員として成長していたこと。
彼の涙の本当の意味は私にはわかりません。
しかし、私は別な視点から安住さんの言葉をしみじみ聴きました。
『なんか自分がこんなに感情が揺れる理由もちょっとわかってないんですけど…』
『自分の他愛のない思い出話をより華やかに、色を付け直してもらったようで…』
こんなにストレートで美しい表現が咄嗟に出てくるなんてすごい。
たまたまなんですが、ちょうどこの本を読んでました。
いいな、と思った部分を忘備録的に書いていきます。
1.どんな業界でも仕事でいいアウトプットをしたかったらその3倍くらいのインプットをしておく必要がある(P.116)。あくまでインプットはアウトプットをするための手段。アウトプットが目的になってはいけない(P.117)。
インプットしたものは、自分というフィルターを通して伝えるもの。情報に振り回されては本末転倒です。
2.何事も「真似る」が上達の近道(P.151)
自分なりの「定型句」を持とう、と安住さんはこの本で言っています。齋藤先生はそのためには「面白い!」と思ったフレーズを真似て表現の引き出しを増やすことを進めています。これは話すことに限らず文章を書く上でも同じだと考えます。私もいいなと思った社説などはノートに書き写しています。何度も使っているとやがてそれは自分のものになります。
3.与えられた持ち場でできることを考える(P.223)
人気アナウンサーの安住さんがなぜ、フリーアナウンサーにならないのか。それは「自分が担当している番組を通じてテレビを変えたいと思っているから。テレビを変えることにやりがいを感じているから」なのだそうです。それは組織の一員として放送局員であった方が早いと考えているからとも語っています。
自分の立ち位置を考えてベストを尽くす。そんな働き方を私も目標にしています。
それにしても、今日のラジオでの安住さんの涙は、少しお疲れなのかな?とも感じ取れました。
気になる方はラジコでどうぞ。