ほはばブログ

ほはばブログ

50代からの女性の暮らし方、働き方、学び方

最近見た映画から考える、家族の障害について思うこと。

半月前くらい?公開間もなくの映画を観てきました。

gaga.ne.jp

なかなか上達しない手話ですが、一昨年までは講座にも通っていました(今はお休み中)。

その時にコーダについて解説してくれる回がありました。

コーダ(CODA:Children of Deaf Adults)とは、聴覚障害をもつ親の子供のこと。コーダは親の通訳をしたりといった直接的な世話などをすることがごくごく日常になっているようです。それを当たり前と思うか、負担だと思うかは子供自身の思いや家庭環境にもよります。

単純に「えらいなー」くらいにしか考えていませんでしたが、よくよく考えると健聴の親ならしなくてよい責任を幼いころから負ってるんですよね。

実際この映画でも漁師の父親が市場で魚を売る時の通訳をしたり、病院に付き添ったりしています。主人公は歌がうまく、音楽大学に入学したいと思い先生について学びたいがことごとく家庭の事情に振り回されて自分のゆく道を閉ざされていく・・・という途中まで悲しいお話です。

 

つらい。。。

親が頼ってしまう気持ちも理解できます。一番近くにいて一番頼りになる存在だから。

一番印象的なセリフは主人公の母親が言った、

「あなた(主人公)が生まれた時に、耳が聞こえない子だったらよかった」という言葉だ。兄も聴覚障害をもち家族の中で唯一「聞こえる子」。自分と同じように聞こえなければ分かり合えたのに、と思っていたよう。商売が成り立たないという理由(だけではないけど)で娘の進路に反対しているのにちょっと勝手だなと思ってしまいました。

 

様々な葛藤の末、主人公、そして家族の出した答えについてはネタバレになってしまうので書きませんが、障害をもつ家族についてのかかわりを考えさせられました。

 

我が家でも軽度知的障害をもつ息子の進路と同時に、「障害のある兄をもつ妹」の娘について悩んでいた時期がありました。娘は息子とは2歳違い。幼稚園、小中学校と「障害を持つ兄の妹」と周りから見られるのがイヤだったそうです。だから遠い高校に進学したときにはずっと「一人っ子」と言っていたのだそうです。負担をかけていたことを申し訳なく思いながらも兄をないことにしていたことを悲しく思いました。今後も兄をめぐる困難は続くと思われます。例えば娘が結婚をするときに「障害をもつ兄がいるから」という理由で破談になったらどうしよう、とか。

(実際特別支援学校の先輩ママに聞くと「障害があることで結婚を取りやめることはまれで、むしろまじめな子を選ぶケースがほとんど。つまり取り越し苦労!」と言われました。)

 

息子の通っていた高等特別支援学校では年に数回、勉強会がありました。そのなかで、障害を持つきょうだいへのかかわりがテーマだったことがありました。その時の講師の先生は「あなたはあなたの人生を歩みなさい」というのは少し違う。障害をもつ家族がいることは紛れもない事実なのだから、その中でできることお願いしたいことを伝えて家族として障害をによる困難を家族で分担しましょう、という内容をしてくださいました。

 

娘が高校に入った時に、「好きな進路を選べばいい。県外に出てもかまわない。しかし私たちが死んだらお兄ちゃんの成年後見人として財産の管理をしてほしい」と伝えました。

高校生にいきなり成年後見人の話をするのもどうかと思ったのですが、一生懸命息子が働いたお金を守ることを家族として守ってほしい。お金さえあればなんとか生きていけるから。娘一人が背負う問題ではないよ、ということはきちんと伝えたつもりです。

成年後見人がどのような役割をするのか、ということは追々話していきますが、負担のないよう行政サービスなども利用しながら家族で乗り切っていけたらいいなと思います。

 

映画の話に戻ります。

家族には家族にしかわからないルールのようなものがあります。

だから、外から見て安易に「かわいそう」とか「えらい」など判断せず、負担に感じているようなら、他の人の力を借りてもいいんだよ、とか行政サービスの情報を知ったら教えてあげるなど大変さを分散させることも周りのできるサポートの形だと思うのです。

できることから、おせっかいかもしれないけれど、声をかけることで救われることもあると信じています。