今週のお題「下書き供養」
2月に読んでブログに書こうとしていた本の記事。
下書きのままになっていました。お題のおかげで成仏(笑)できます。
ノートを1冊買うつもりが、ついつい平積みの本を買ってしまいます。
芥川賞ってお堅い文学というイメージかもしれませんが純文学の新人賞で読みやすい本が選ばれることも多いです。今年の初めに選ばれた宇佐美りんさんの「推し、燃ゆ」は現役大学生の作品で、まさにデジタルな令和を生きる若者のお話です。
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高校生のあかり(主人公)は体育祭の練習をさぼり、ベッドの奥から出てきたホコリまみれのDVDを観て心をつかまれます。それは子供時代に見に行った舞台ピーターパンでした。ピーターパン役だった真生(まさき)はアイドルグループ「まざま座」の一員にとなり、あかりは真生の「推し」となるのです。
※「推し」=アイドル等のファン
話は真生がファンを殴りSNSが炎上するところからはじまります。
SNS上で避難を浴びる「推し」をブログで態度で応援するあかり。
それは感情をこめつつも冷静な分析を交えた文章です。
推しに関しては才能を発揮できるのに日常生活ではできることよりもできないことの方が多く生きづらさを感じるあかり。
家族からも理解されず、高校の勉強にもついていけず。
病院では2つの病名(おそらく発達障害?)を告げられ、やがて高校を退学し、亡くなった祖母の家で一人暮らしを始めます。
身の回りの片付けも勉強も。食堂のバイトでも何をどうすればよいのかわからない。
分かっていること、できることは推しを推すということだけ。
何をするにも「推し」ありき、「推し」優先。
自分のことより「推し」のこと。
「推し」のためにお金をかせぎ、そのバイトすら「推し」のために休むこともあるという日々は、まさにあかりにとっての心の拠り所を超えた生きるために必要な「背骨」でした。
話しは逸れます。
娘が高校一年生の時、学校まで迎えに行った帰りの車の中で、
「この右カーブを過ぎると私の『推し丘』があるんだ」
と言いました。
夕陽に照らされたそれはアルプスの少女ハイジを思い出しそうなのどかな風景でした。
あかりの「推し」とは少し違うけれど、この風景が娘の受験勉強のつらさを和らげてくれていたのかな、と思うと推しのある人生っていいなと思いました。
推ししかない、という日々を生きるあかり。
ある日推しは芸能界を引退することとなります。
背骨を強く意識することなく生きられたらいいのにと、読みながら何度も思いました。
後半からは母親の気持ちであかりが健やかに生きれれるようにと祈るようにページをめくりました。
一筋の希望は最後のページ。
著者は、推しの終焉を骨を拾うように綿棒を拾うあかりの姿を描くことで
あかりの希望を描いたのではないでしょうか。
二本足で歩かなくたっていい。這いつくばっても生きていけばいい。
人は背骨だけでは生きられないのです。
希望がなくて心の中が空っぽのひとにこそ響く一冊だと思いました。