天気はいいけど風が冷たい。
こんな日は読書日和
読後のおやつ。いただいた福岡銘菓が美味しすぎるー!
どうして非行にはしってしまうのか?という謎には家庭環境に恵まれていなかったとか、どこかでつまずきがあったとかそういうイメージがありました。
しかし、それとは別の切り口「知的障害、発達障害を見過ごされてきた子供達が非行に走らざるを得なかった」という切り口で書かれています。
著者は児童精神科医として重大犯罪を行った大人や子供の精神鑑定をしていく中で「なぜそのような犯罪を犯したのか」という問いに答えられないという壁を知ります。その問いが難しすぎるのです。
たとえば、彼らに次のような質問を投げかけたとします。
「あなたは今、十分なお金をもっていません。1週間後までに10万円用意しなければなれいません。どんな方法でもいいので考えてみてください」
「どんな方法でもいいから」と言われると、親族から借りる、消費者金融から借りる、盗む、騙し取る、銀行強盗をするといったものが出てきます。「(親族などに)借りたりする」という選択肢と「盗む」という選択した普通に並んで出てくるのです。(P.37から引用)
盗んだり、騙し取ったりしたらそのあとどんなことが起きるのかは教えなくてもわかってると思い込んでました。ここが盲点だったのです。
殺人を犯した少年が「自分はやさしい」と言う。どうしてそう思うのかというと「友達が優しいと言ったから」「小さい子やお年寄りにやさしい」などと答える。しかし君は〇〇をして人が亡くなったけどそれは殺人だよね。それでもやさしいの?と訊き返してやっと「あー、やさしくないです」と返ってくる。
反省すらもできないのです。
表紙の帯に書いてある円形(ホールケーキの形)に三分割してしまう非行少年。
どうしてこんなふうに切ってしまうのかというと、「三等分」を知らないのです。
学習してきてないのです。簡単な計算も、漢字の読み書きもできない。
学校教育から取り残されることは社会生活を営むための知識(という道具)を持たずに生きていくようなものです。
感情のコントロールもできず、短絡的で衝動的な行動に走りやすくなるというわけです。
もちろん軽度知的障害、発達障害の人が全てそうなるわけではありません。しかし、ある程度集団の中でやれていれば見過ごされてしまうのです。勉強ができないことが悪ではありませんが、わからないことをわからないと言えない状況の中でおいてけぼりにさせてしまっていないか、ということは省みなければならないでしょう。
私の子供は21歳で知的障害を持っています。1歳になる前に「あれ?うちの子他の子となんか違うかも?」と思いました。1歳半検診で要観察。療育手帳は3歳の時に取得しました。
高等特別支援学校の担任の先生に「塚本君はおそらく一番早く療育手帳を取っています。受験のために仕方なく取得する人もいる中でどうしてそんなに早く療育手帳を取ったのですか?」と聞かれたことがあります。
超、が付くほどの心配性の私はまだ幼い我が子がこれからどんな人生を歩むのかとても不安でした。私と夫は確実に息子よりも早く死ぬ。息子は成長して学校に行って就職して自分で稼いでいけるのか全くイメージが湧きません。自分で稼げず私たちの遺したお金も底をついたら息子はどうなってしまうのだろう。犯罪者にならず、被害者にもならずに田舎で細々と楽しみを見つけて一生を終えてほしい、私の願いはそれだけでした。
そのためにできること。とにかく頼れる行政のサポートは全部使おう!という気持ちで保健センター、児童相談所、小児精神科などを回りました。その中でさまざまな出会いがあり情報を得、子育てしてきました。
成人になり、なんとか仕事を得、元気に帰ってきてくれることが本当に幸せです。
そして、この平和がずっと続くように陰ながらサポートし続けていくつもりです。
私の長生きしたい理由でもあります。
語弊を恐れずに言えば、障害をもってしまったことは不幸でした。
しかし、早くに気づけたことは幸運でした。ケーキの切れない非行少年たちの一部には同じように軽度の知的障害を持ちながらも周りに気づいてもらえなかったのです。
周りの大人が「あれ?」と思ったら、積極的にかかわって欲しいです。例えば「言葉の意味がわかる」ということの大切さは感情のコントロールにもつながります。勉強ができないこと自体が自己肯定感を下げています。難しい勉強は必要ありません。
この本の後半はトレーニングの方法やワークブックが紹介されています。私も1冊買いました。心豊かな人を育てていくことが巡り巡って日本の経済や社会を動かす一人を育てることにもつながっていくと信じています。