昨日は早朝に起床して、ドワイエンヌ・デュ・コミスを食べました。
切ったらハート型。気持ち上がります。
(がっつきたい気持ちを抑え、ブログ用に庭からミントなんぞを摘んできた)
さすが食べごろシールが貼られていただけのことはあります。
さわやかかつ芳醇な香りが切ったとたんにあふれてきます。
冷やさず常温で食べると少し固めのクリームの食感です。
別名、幻の西洋梨と言われているそう。生きているうちにもう一度食べられますように。
楽しみは与えられるものではなく、自分で創造していくもの。
ドワイエンヌ・デュ・コミスが普段からたらふく食べられる家庭でなくて本当によかったです。
これからお正月中、ひとつずつ楽しんでいきます。
そうそう私、48歳にして大勘違いをしていました。
前回のブログで「ラ・フランスいただきました」と書いていましたが、
ラ・フランスは洋梨の種類の一つなのですね。
つまり、
「洋梨の『ラ・フランス』や『ドワイエンヌ・デュ・コミス』をいただきました」
が正解なのです。
あぁ、恥ずかしい。
今年を振り返ると、読書量がものすごーく落ちました。
忙しいときほどよく読めるという人がいますが、私もそのタイプです。
電車に乗って出かけることが少なくなったことも影響していますが。
買っただけの本がこんなにたんまり。
整理収納アドバイザー的には「1年使わなかったら、不用品」という考え方。
でもあくまでも原則なので「読みます、読みます!!」。
読後感想などもブログで書いてさっさとメルカリに出します。
読書で思い出したのですが、私の高校の時に「かみちゃん(と私たちが勝手に呼んでいた)」当時40代前半の女性の英語の先生がいました。顧問のいなかった我が演劇部の顧問を引き受けてくださったかみちゃんは少ない口数で毒を吐いたり、お勉強が苦手なのに勉強しない私たちを平気でディスったりしていました(でもどれもこれも自分たちが原因です)。
かみちゃんはよく学校の図書館にいました。図書館というよりは「図書室」という言葉が似合いそうなその部屋は蔵書数は少ないものの司書の先生のおかげで新刊本やノンノなどの雑誌もありましたが利用する生徒はごくごく少なかったと記憶しています。カウンターには司書の先生がいて、時々かみちゃんと司書の先生が奥でお茶しておしゃべりしていました。
卒業の少し前、一度だけそのお茶会に参加させてもらったことがありました。何を話したのかは忘れてしまったけれど、いつもの毒舌ではなく穏やかなかみちゃんが印象的でした。高校時代のほのかにあたたかい思い出のひとつです。
かみちゃんが司書の先生と仲良かったからかわかりませんが、新刊が入るのにとても目ざとく、一番目に本を借りていました。私は一番目に借りることにこだわっていた時期があり貸出カード(昔はバーコードやQRコードではなかったのです)に記入しようと見ると必ずと言っていいほどかみちゃんの名前が書かれれていました。最初は悔しかったですが、かみちゃんの次の行に自分の名前が書けるのもちょっと嬉しかったです。かみちゃんという大人の女性と同じ目線でいられる自分が誇らしくも思えました。
本を読むことが好きなのは、本を読むことよりも本を読む自分が好きなのかもしれません。
おそらくそのルーツはかみちゃんの本に向かう姿なのでしょう。
当時のかみちゃんよりも今の私の方が年上になってしまいました。
もう40代。
まだ40代。そしてその40代さえもあと2年切りました。
あれやこれやを「来年は、来年は・・・」と目標を立て自分自身に期待の借金ばかりしているここ数日ですが、あのたんまりたまった本を読んで、心に響く部分をブログで発信していけたらいいなと思っています。
かみちゃんはもう70歳を過ぎているはずです。kindleとかで本を読んでたりして。