ほはばブログ

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50代からの女性の暮らし方、働き方、学び方

あの日あなたは何をしていましたか。

数日前ですが日立市に行ってきました。観光ではありません。

仕事で。

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 駅前に堂々とした佇まいのシビックセンター。

プラネタリウムがあります。

 

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日立市出身の世界的建築家、妹島和世さんがデザイン監修をした駅舎から見える風景。

改札を出たら風景に吸い込まれるように右に足が向く。

この日は朝からの雨。グレーの空とグレーの海が見えるのみ。残念。

 

画像の奥に映る道路は国道6号(ろっこく)日立バイパス。海の上を走っている気分になる私の好きな道。

この道は東日本大震災の中、津波に耐え各地で寸断された交通を支えた命の道。

 

2011年3月11日。

あの日。私は宇都宮線の電車の中にいたんだった。

急に電車が止まり。断続的に続く揺れに高校生が泣いていた。

携帯電話の電池を気にしながら夫に何度も電話をかけたけれど全くつながらず。

そのうち出口にはしごがかけられ降りて一番近くの駅で清算するように指示された。

 

あの時、気が動転して駅の階段で転んでしまったんだった。

ものすごく痛かったけど人ごみの中、何事もなかったように立ち上がり、駅の近くのお弁当屋さんでお弁当を買い、ご好意に甘えて店内で食べさせてもらったのだ。

(こんな緊急事態でも、しっかり空腹を満たしている自分が悲しすぎる)。

 

しばらくの間、正座をするときや片付け作業でひざをつくとき膝が鈍く痛んで、そのたびにあの日のことを思い出した。

 

あれから7年。

いつの間にかあの痛みが消えていた。痛みが消えたことさえ忘れていた。

 

人は痛みを感じ続けていないと忘れてしまうものなのか。

あの時の不安も、恐怖も。

助けてくれた人の優しさ、あたたかさも。

 

私は。

一瞬の鈍い痛みを感じていただけで、何事もなかったかのように暮らしている。

それがいいとか悪いとかではなく。

でもやっぱり思う。

「あの日のことをなかったことにはできない。だからせめて忘れないようにしよう」

 

忘れなければ、これから起こる「もしも」に心配りができる。

忘れなければ、痛みをまだ感じている人へ心配りができる。

何をすべきか、想像することができる。

行動を創造することができる。

 

 

駅のカフェでガラス窓に叩きつけられた雨粒を見ながらお茶を飲み。

電車に乗る前に売店で買ったおやつ。

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食べることで、また忘れない自分になる。

できることなんてささいなことだと思う。

それを恥ずかしがらずにやっていこう。

やらないよりはマシ。

私にとってそれを忘れないための3月11日なのです。